
ありんこです。(プロフィールこちら)
今回の記事は、合理主義的にものごとを客観視したときに、感じてしまったこと。
仕事と費用対効果の考え
もっと便利に
もっと使いやすく
もっと見た目にこだわる・・・
どんなことでも、できる限り今よりさらに良いものをつくる。それが、仕事。
でも、現状を少しだけ変える。もうちょっとだけ良くする。そのために、どれだけたくさんの時間や労力を費やしているんだろうと。
言い換えれば、実際のところ無くても充分生きていける、というようなものでも、それを作るために・・・どうでも良い何かを細かく考えるために・・・自分の持っている時間や労力を割きすぎなんじゃないかと、思うことが多いのです。
それをしたところで得られるもの(プラス)と、割いた時間や労力(マイナス)を比較して、果たして結果的に、差し引きプラスになることばかりなんだろか。
つまり、費用対効果を考えているんだろか・・・という疑問です。
仕事が早い人と遅い人の違い
例えば社内で、ある雑誌に載せる写真をみんなで選択するとき。
膨大な枚数の写真から良いものを選ぶのは大変なので、選択肢をいくつか考えて絞り込み、上司など上の人たちに提案する。
たいていの場合、どの写真を選んだとしてもたいして変わらないような状況の中で、深く考え込むというのは、費用対効果を考えるとあまりにもムダすぎる。
仕事の早い人は、どうでも良いような状況の中、選択の間違いによって大きな損失が出るわけがないという状況の中では、即決できる。
仕事の遅い人は逆に、どうでも良いような状況の中でこそ、どれでも良いからこそ、考え込んでしまい、なかなか決断ができない。
この写真だと、ここが良くない。とか、これとこれだとどちらがより良いかな?とか・・・どうでも良い中で、いろいろと丁寧に考えるがゆえに、その分の時間や労力が費やされていくのです。
もっと他に重要な仕事がたくさんある中での、このどうでも良い作業。みんなヒマじゃないのに、周りをも巻き込むこのムダさ。
何かを企画するとき、1人じゃ決められないのが会社内での常識。だから、関わっている人たちへ相談を持ちかけます。
そのときには書類を作成して渡し、見てもらう。
そしてダメ出しをもらい、作りかえる。
さらにダメ出しをもらい、作りかえる。
さらにダメ出しをもらい、また作りかえる。
その繰り返し。
そうして、どうでも良いムダな書類があふれかえり、本当に大事な書類がどこにあるのかが分からなくなってしまいます。
しかもそんな書類に限って、作らなくても充分、メールなどでやり取りできる内容だったりするもんです。
書類作成の時間がムダ。
紙とトナーのムダ。
労力のムダ。
冷静に考えれば分かることですが、こういうムダ使いが、今の日本の会社ではどれだけ行われているんだろか。
悲劇のヒロイン的な風潮
時間や労力をできる限り使って、より良いものを作るほうがいい。
忙しいのが当たり前だ。
忙しい自分はかっこいい。
慌ただしく仕事をしていることが、生き甲斐だ。
こんな風潮、暗黙の了解が存在する会社は、とても多いです。
本気でそう思っている人は、どうぞどうぞという感じ・・・。
でも、仕事の他に自分のやりたいことがある人たち。大切な家族を過ごす時間を多く持ちたい人たち。そういう人たちもたくさんいて、こんな風潮によって大迷惑を被っているのも事実です。
長時間、労力を費やして仕事をすることは、美徳だ。
仕事に人生をかけている人が、評価される。
そういう考え方が日本社会に残る限り、若者たちがどんなにあがいても、なかなか会社は変わりません。
「仕事では評価されたけど、家庭の方は全然なんだよ〜」と言って笑い話にしている人。
「毎日遅くまで残って頑張ったから、ここまで来れたんですよ」と言って、長時間労働を助長している人。
まじでアホ。つまらない人間です。
これからの働き方改革、良い方向にしっかりと”改革”されれば良いですが・・・改革というほどの変化が起きている現場はまだまだ少ないようです。

小さなコミュニティ内の凝り固まった考え方に縛られず、多方面から”仕事”について考えるために、おすすめな本。

こちらも、めちゃくちゃおすすめ。
具体的な会社内のムダとそれに伴う悪影響を、説得力のある文章で説明してくれています。