
ありんこです。(プロフィールこちら)
自分が親になったら、子どもにこんなことをしてあげたい。
子どもに対して、こういうことはしないようにしたい。
同世代の知り合いたちが次々と結婚していき、父親や母親になっていく。その中でみんな、子育て経験がないなりにもいろいろな強い想いと愛情をもって、真剣に自分の子どもと向き合っていきます。
でも結局、子育ての正解というものはない。
だからこそ、とんでもなく難しいことなのかもしれないですが・・・
余命3年宣告を受けた父親から子へ
つい最近、この夏に出版された、親世代にも子どもたちにも注目してほしい1冊の本があります。
写真家であり猟師でもある、幡野広志さん。
2歳の息子さんがいながら、35歳という若さにして多発性骨髄腫というガンで、余命3年宣告を受けています。
この本は、幡野さんから子へ伝えたい、自分がいなくなった後にも残しておきたい想いを詰めた内容です。
優しさとは?
幡野さんは、息子さんに”優しい人”になってほしい。
それはほとんどの人が考えることだと思うんですが、じゃあ”優しい人”っていったいどんな人なのか。
人に何かをしてあげる。これは優しさだけれど、大人になると案外難しい。それを痛烈に知ったのは、ガンを宣告されてからだ。末期ガンであることがまわりに知れるにつれ、僕にはたくさんの「優しい手」がさしのべられた。
「とにかく安静に。最新最善の治療をして、1日でも長く生きてほしい。」親や親戚といった身内の優しさは、おおむねこんなところだ。心配してくれる気持ちはよくわかるけれど、ベッドで天井を見つめながら毎日を過ごして寿命を延ばすことを僕は望んでいない。
だが、こうした優しさのほとんどは、虐待だ。
自分の優しさを丸ごとぶつけるだけでは、優しくなれない。
優しさって、無責任なアドバイスなんかじゃない。
幡野さんが20代のとき、青木ヶ原の樹海でこれから自殺をしようとしていた男性と出逢った、という話も書かれていました。
登山用のナイフを持っていた幡野さんに、怯えるかのようにも見えたその男性。
「ぼくはあなたの自殺を止めようとも、殺そうとも思っていない。話しを聞いても良いですか?」と声をかけて、ちょっとの間話をしたという幡野さん。
自殺を止めようとする人たちはいるけど、もしその男性がそこで自殺を踏みとどまったとしても、その先の男性の人生に責任がとれるわけでもない。
その男性は、どんどん暗くなっていく樹海の中を、奥へと進んでいったそうです。
何かをしてあげることだけが、優しさじゃないんだということ。なかなか理解している人はいないんじゃないかと思います。理解していても、常にそうやって相手に寄り添うことができる人はまれなんじゃないかと。
命の重さと、生と死についての思考
数年前、狩猟中に山で遭難しかけたこともある。経験と知識と体力と、何もかもが不足していたのが原因だった。もともとない体力をどんどん消耗し、太陽も徐々に傾き、とにかく下山しなければと焦っていた。ずっと妻のことだけを考えて、心の中で謝っていた。
そのとき僕は荷物を軽くしようと、必要のないものを山に捨てた。迷いもせずまっさきに捨てたのは、カメラ。大切なのは写真であってカメラじゃない。
下山途中に鹿がいたので撃った。若いオスだった。肉を持ち帰る余裕なんてなかったのに、僕は獲った。お腹をあけてレバーと心臓と背中のロースだけ剥ぎ取り、血を手ですくって恐る恐る飲んでみると、驚くほどおいしかった。それで折れかけた心が復活して、僕は無事に下山できたのだ。
迷いもなくカメラを捨てたことと、あのときの鹿の命は今でも忘れられない。
ガンと診断されて自殺が頭をかすめたとき、いちばん最初に処分しなければと思ったものが鉄砲だった。あのとき命をつないでくれた鉄砲が、邪魔になっている。僕は鉄砲を処分し、狩猟をやめた。今は、息子を撮るカメラが、僕の思考を助けてくれている。
生々しい経験とともに、命の重さ、つながれた命の中に自分の命があるんだということ、分かりやすく書かれています。
学校の先生や何も知らない大人たちにいくら、「感謝して食べなさい」なんて言われても、なんの説得力もない。
自分の命と、動物の命と・・・
他にも、学校なんかじゃ絶対に教えてくれないこと。幡野さん自身の生の経験と、思慮深さによってたくさんの、生きていく上で指標になるような事柄がかかれている本でした。
- 優しさについて、僕が息子に伝えたいこと
- 孤独と友だちについて、息子に学んでほしいこと
- 夢と仕事とお金について、息子に教えておきたいこと
- 生と死について、いつか息子と話したいこと
親世代の人たちに、繰り返し読んでほしい本。そして、その子どもたちにも。
子どもが知っておくべきこと。親として、いや大人として、子どもと接するときに大切なこと。幡野さんが言語化してくれていました。